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2018年2月のひとりごと②

 久しぶりに漫画の本を買って読みました。
 学生のときに、よく「硬派 銀次郎」とか「1・2の三四郎」とか「じゃりン子チエ」などを買って読んでいました。その後も、漫画を読むことはあったのですが、買って読むのは、それ以来かなと思います。
 今回、買って読んだのは「君たちはどう生きるか」という漫画です。
1937年に出版された小説が、今でも読み継がれていて、それが、今回、漫画となって出版されると、その漫画がとても売れていると聞き、興味がわいてきて、買って読んでみました。

 1学期の始業式の日に、「なぜ勉強するのか」という話をしました。
 その時には、考えられることが3つあると、話しました。
 1つは、「自分の選択肢が広がるから」、もう1つは、「だれかの笑顔につながるから」、ということを話しました。そして、もう1つは、「今度話します。」と言ってありました。

 「君たちはどう生きるか」を読んでいると、この3つ目の理由に関わるところがありました。(緑色の字のところは、「君たちはどう生きるか」からの抜粋です。)
 
 人間は、どんな人だって、一人の人間として経験することに限りがある。しかし、人間は言葉というものをもっている。だから、自分の経験を人に伝えることもできるし、人の経験を聞いて知ることもできる。その上に文字というものを発明したから、書物を通じて、お互いの経験を伝え合うこともできる。そこで、いろいろな人の、いろいろな場合の経験をくらべあわすようになり、それを各方面からまとめあげてゆくようになった。こうして、できるだけ広い経験を、それぞれの方面から、矛盾のないようにまとめていったものが、学問というものなんだ。だから、いろいろな学問は、人類の今までの経験をひとまとめしたものといっていい。そして、そういう経験を前の時代から受け継いで、その上で、また新しい経験を積んできたから、人類は、野獣同様の状態から今日の状態まで、進歩してくることができたのだ。一人一人の人間が、みんないちいち、猿同然のところから出直したんでは、人類はいつまでたっても猿同然で、決して今日の文明には達しなかったろう。

ということが書かれているページがあります。
 勉強する理由が、見事にまとめられているなと思いました。
 子どもたちには、もし、世界中の人が勉強しなかったらどうなるかを考えさせるところから、この話につなげたいなと思います。


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2018年2月のひとりごと

 養護の先生が、保健だよりを発行しています。
 先日発行された保健だよりに、養護の先生が描いた、中庭での雪山作りの様子の絵が載っていました。登場人物が本人になかなか似ていて、しかも、ユーモラスな絵だったので、保健だよりを教室で配ったとき、子どもたちは、それを見ながら、笑ったり、雪山作りの話を始めたりしました。
 次の日の朝、教室に向かって歩いていると、養護の先生が廊下にいて、4年生の子どもも廊下を歩いていました。
 その子が養護の先生の近くまで来たとき、
 「先生、とっても絵がじょうずですね。」
と話しかけていました。

 インフルエンザが流行ってきたので、先日、私は珍しく、マスクをして学校へ行きました。調子が悪かったわけではなく、予防のためにマスクをしていたのですが、廊下で会った何人かの子どもたちが、「どうしたんですか?」とか「だいじょうぶですか?」と、心配して声をかけてくれました。
 どうしてマスクをしているかを説明すると、「そうなんだ。」と言って歩いて行きました。

 保健だよりの絵のことを養護の先生に言っていたこともそうですし、マスクのことを私に言っていたこともそうなのですが、こうして、人とのコミュニケーションをとれるって、すごいなと思いました。
 わり算ができるようになることも大事ですが、このように言葉を使って、人との関係を築いていけることも、前回のひとりごとで書いた「あいさつ」と同じように、大事なことだなと思います。


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2018年1月のひとりごと②

 「よし、朝だ!」というのも、
 「あ~あ、朝だ…」というのも、
あなたの考え方次第だ。

 ウエイン・ダイア―というアメリカの心理学者の言葉です。

 3学期になってすぐに、6年生の卒業文集編集委員の子どもたちが、文集に載せる言葉を書いてくださいと、紙を持って頼みに来たので、この言葉を書きました。

 寒い日が続きます。
 私は、朝起きてすぐに、自然と「よし、朝だ!」という気持ちになるというよりは、「よし、朝だ!」と自分に言い聞かせているようなところがあります。

 学校に向かって歩いていると、何人かの子どもたちに会います。「おはようございます。」の元気な声を聞きます。すると、「よし、朝だ!」の気持ちが高まります。

 学校の中に入ります。そこで、また、何人かの子どもたちとあいさつを交わします。ますます、「よし、朝だ!」の気持ちが高まります。

 教室の中に入ります。また、あいさつの言葉を交わします。昨日の出来事や、今朝の出来事を一生懸命、話してくれる子どもたちがいます。ますます、「よし、朝だ!」の気持ちが高まります。

 自分に言い聞かせていた「よし、朝だ!」の気持ちが、子どもたちのおかげでだんだん高まり、学校での1日が始まります。


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2018年1月のひとりごと

 2学期の終わり頃に、「お楽しみ会」をしました。
 その日の朝に、学級の子どもが私の近くに寄って来て、お母さんとの会話を教えてくれました。
 朝、家を出る前に、今日はお楽しみ会があるということをお母さんに話したそうなのですが、そのあと、お母さんに、
 「今日、どうしてお楽しみ会があるか知ってる? それはね、ぼくたちが 
  勉強をがんばったからなんだよ。」
と話したそうです。
 すると、お母さんは、
 「そうなんだぁ。それは、楽しんできてね。」
と言ってくれたそうです。

 2学期のまとめの学習などを、なんとか学期末までに終わらせようとがんばった結果、「お楽しみ会」をする時間的余裕ができ、そのタイミングで、「お楽しみ会をしたい。」と申し出てきた子がいたので、「お楽しみ会」をすることにしたのですが、それを学級の子どもたちに伝えるときに、
 「お楽しみ会をやりたいと言ってきた人がいました。みんな、2学期の勉
  強もがんばったので、お楽しみ会をすることにしました。」
というような言い方で、子どもたちに伝えました。
 そんなに深く考えていった言葉ではなかったのですが、それでも、子どもたちは、きちんと聞いて、それを受けとめ、おうちの人に話をしたんだなと、思いました。
 その言葉を、おうちの人も、きちんと聞いてくれているんだなと、思いました。
 更に、その子どもの言葉を聞いて、返す言葉も温かいなと、思いました。

 3学期が始まるにあたって、私も、きちんと聞こう、返す言葉も、いいキャッチボールになるようにしようと、改めて思いました。


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2017年12月のひとりごと

 国語の時間に、作文の学習をしました。
 今回は行事の作文ではなく、「お父さんになったら」「お母さんになったら」という題材です。
 作文には、「子どもといっしょに遊んであげたい。」「子どもといっしょに出かけたい。」などの言葉が見られました。
 そこからは、「今、いっしょに遊んでもらっていることがうれしい。」と読み取ることができますし、「いっしょに遊んでほしい。」という願いも読み取れます。
 また、「犬を飼ってあげたい。」「子どもの頃の話を聞かせてあげたい。」などの言葉も見られました。やはり、「犬を飼いたい。」「子どもの頃の話を聞かせてほしい。」という願いとも読み取れます。
 自分のお父さん、お母さんが今していることを、そのまま、自分がお父さん、お母さんになったら、したいこととして書いている言葉もたくさん見られました。

 「ゲームの時間は決めたいです。」「すぐに、車で学校に送っていってあげることはしたくないです。」と書いている子どももいました。
 「欲しいものを何でも買ってあげて、好き放題にさせてあげたいです。」などと書いている子どもは、だれもいませんでした。

 きびしいこと、やさしいこと、どちらも大事なことなんだと子どもたちは感じているんだなと、作文を読んでいて思いました。


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2017年11月のひとりごと②

 「11月のひとりごと」では、「親といっしょに過ごす残された時間」のことを書きましたが、ここでは、「チコちゃんに叱られる」の中で言っていた、子育てをしている親の立場から見ての「子どもといっしょに過ごす残された時間」のことを書きたいと思います。

 前回のような方法で計算していくと、小学校入学までの間に、親は子どもといっしょに過ごす時間のなんと35%(約3分の1)を使ってしまうそうです。(小学校に入ると、学校にいる時間やそのほかの活動の時間などがあって、子どもが親といっしょに過ごしている時間は減るので、その割合は、どうしても小学校入学までの間が高くなります。)
 そして、小学校を卒業する時点で55%、高校を卒業する時点で70%を使ってしまうそうです。
 気になったので、少し調べてみると、「あなたは、子どもといっしょに過ごす時間が、あと、どれくらいあると思いますか?」と街中インタビューをしている別の番組の記事がありました。ほとんどの人が、「考えたこともなかった。」と答えたそうです。(私も考えたことがありませんでした。)

 その時間をどう増やすかということも大事ですが、仕事があるので、物理的に難しいところがあります。それよりも、その時間をどう使うかを意識することが大事だなと、番組を見たり、調べたりしていて思いました。

 「子どもは、手がかかるうちに手をかけないと、手をかけられなくなる、という父の教えがある。」と言っていた人がいました。(もちろん、子どもがやるべきことを親が代わりにやってあげるという意味ではありません。)
 一生のうちで、親子がいっしょに過ごせるのは、女性で13年余り、男性で9年余りだそうです。



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2017年11月のひとりごと

 次の記事は、2017年の11月に書いて、学級通信に載せたものです。「チコちゃんに叱られる」の中の「ボーっと生きてんじゃねえよ!」のセリフは、2018年の流行語大賞トップ10に選ばれたほどなので、今更番組の説明を書くほどのことでもないのかもしれませんが、2017年11月の時点では、あまり知られていなかったようなので(私がこの番組を知ったのは、この日が初めてでした)、番組の簡単な説明も書きました。

 休みの日に「チコちゃんに叱られる」という番組をやっていました。その番組をやっているときに、違うことをしていたので、テレビの声が聞こえてきたという感じで、うろ覚えの部分もあるのですが、ナインティナインの岡村さんが、チコちゃんというキャラクターの5才の女の子に「ボーっと生きてんじゃねえよ!」と叱られる、といった番組でした。
 その中で、チコちゃんが、
「岡村は、親といっしょに過ごす時間が、あと何日残されていると思う?」
と質問していました。

 親といっしょに住んでいない大人は、平均で1年に6日間、親と会うそうです。そのうち、1日あたり4時間、親と顔を合わせるそうです。そうすると、4×6で24時間、つまり、親といっしょに過ごす時間は、1年で1日ということになります。そう考えると、親といっしょに過ごす残された時間は、親の余命×1日、余命が10年だったら10日間ということになります。
 平均寿命から計算すると、岡村さんの場合、親といっしょに過ごす残された時間は、あと13日となるそうです。
 岡村さんは、「人の親の余命を勝手に決めるな。」と怒っていましたが、平均で考えると、そうなるそうです。
 その数字にも驚いたのですが、その話の後半に出てくる数字に驚かされ、考えさせられました。
 話の後半は、11月のひとりごと②として、書きたいと思います。


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2017年10月のひとりごと②

 今年の学芸会の音楽は、四曲、歌ったり、演奏したりします。
 そのうちの一曲は、昨年ヒットした星野源さんの「恋」という曲です。
 この曲は、器楽演奏をするので、いろいろな楽器を使い、楽譜も印刷して、ファイルに入れてあるものを使います。
 他の三曲は、音楽の教科書に載っている曲です。ですから、その日、どの曲の練習をするかによって、教室から、音楽室に持っていくものも違ってきます。

ある日の私と子どもたちの会話です。

  子ども「先生、3時間目の音楽は、何の練習をするんですか?」
  担任 「恋の練習をします。」
  子ども「恋の練習?」
      (ニヤッとしている子がいます。)

別の日
  担任 「4時間目は、恋をできる準備をして、音楽室へ行きましょ
      う。」
     (言ったあと、自分で、何かおかしなセリフを言ってしまったな
      と、思いました。)

また、別の日
  子ども「恋は1回だけするんですか?」
  子ども「3回以上はするんじゃないの?」
     (もう、どっちの意味で言っているのか、わからなくなってきま
      した。)

 毎日、楽しんで練習をしています。

(「ひとりごと」は、教育的な意味も少し含めながら書きたいなと思ってい
 るのですが、今回は、ただの、ある日の子どもたちと担任とのやりとりを
 紹介しました。)


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2017年10月のひとりごと

 作物を育てて、それを食べることは、人間が生きていくうえで根本にある大事なことです。
 しかし、私は、以前はそのことにあまり力を入れて実践していませんでした。(食べ物の大切さの話などは、時々していました。)
 しかし、ここ数年、そのことを言葉だけでなく、子どもたちが体験することが重要だという思いが強くなり、みんなで作物を育て、それを調理して食べることに、だんだん力を入れるようになってきました。
 特に今年度の学級には、農業に強く興味を持っていて、知識が豊富な子どもが何人かいます。その子たちが、育て方をいろいろと教えてくれたり、地域の農業の様子を教えてくれたり、自分のうちの農業機械のことを教えてくれたりすることがあります。(教室にいると、外からトラクターの音が聞こえてきて、その音を聞くだけで、「○○さんのトラクターの音だ」と言い、窓の方へ行って外を見ると、本当にそのトラクターだった、というそんなツワモノまでいます。)

 また、料理をすることが好きな子どもも数人います。
 農業が好きだったり、料理が好きだったりする子たちが中心になりながら、みんなで、じゃがいも、とうもろこし、枝豆、落花生、トマト、ナス、ピーマン、プリンスメロンなど、いろいろな作物を作りました。また、ガーデンというスペースを作った子どもたちもいたので、マリーゴールド、コスモス、ホウセンカなどの花を楽しむこともできました。

 調理のときには、お湯が沸くまでの間に、てきぱきと使い終わったボウルを洗って、かたづける子がいたり、食べ終わったあと、洗濯機で洗ったふきんを、昼休みに干しにくる子がいたりと、子どもたちの良い面を発見できたところもよかったです。
 来月は、水田で育てた米で、カレーライスを作り、全校児童で頂きます。



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2017年9月のひとりごと③

 校庭に立派な栗の木があります。
 放課後に、たくさん栗を拾った子が、野球の練習の帰りに、
 「たくさん拾って重たいから、先生にもあげる。」
と言って、おすそ分けしてくれました。
 「重たいから…」と言ったのは、私が遠慮しないように言ってくれた、やさしさから出た言葉なのではないかなと思います。

 校庭に栗の木があることは、子どもたちはみんな知っていますが、校庭の栗の実を食べたことがある子は、あまり多くはないのではないかと思い、その子にもらった栗は、家に持って帰らずに、次の日に、家庭科室でゆでて、学級のみんなで食べることにしました。

 次の日になり、家庭科室でゆでて、そのあと、教室に持っていき、みんなで栗を食べ始めました。
 食べるときに、皮をむくのが、なかなか面倒なので、私も含め、多くの子どもたちは、皮ごと噛んで栗を割って、その中身を食べるといった感じの雑な食べ方をしていたのですが、何人かは、ていねいに手で皮をむいて食べていました。
 特に、ていねいに、形をこわさずにむいている子がいて、「指先が痛い。」と言いながら、時間をかけて、皮のない、きれいな丸い形の栗の実にしていました。
 そして、やっとむき終わったその栗の実を「はい。」と、となりの子にあげてしまいました。
 その様子を見ていて、何年か前の新聞記事(読者の声のようなコーナー)を思い出しました。

 その記事の内容は、次のような感じでした。

 親戚の人たちが何人も集まって、毛ガニを食べているときに、そこにいた小学生の男の子が殻をむいて、食べずに、黙々と皿にカニの身をためていたそうです。それを見た口の悪いおじさんたちが、
 「そうやってためておいて、みんなが食べ終わった頃に、いいだろうとい
  う顔をして食べるんだろう。」
と言ったそうです。そう言われても、男の子は、黙々と殻をむき続けたそうです。そうしているうちに殻をむき終わり、その子はおばあちゃんのとなりへ行ったそうです。そして、「はい。」とそのカニの身の入った皿をおばあちゃんに渡したそうです。その様子を見て、周りの大人たちは、恥ずかしくなったという内容の記事でした。

 栗を友達にあげた子も、カニをおばあちゃんにあげた子も、誰かに喜んでもらう行動をしているなぁ、やさしい子だなぁ、と思いました。


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プロフィール

かがやき

Author:かがやき
 北海道の小学校教諭です。また、日本メンタルヘルス協会で心理学を学び、基礎心理カウンセラーの資格を頂きました。特別な出来事ではない、日常の学校生活の出来事や感じたことなどをお伝えしていきます。その中で、子育ての参考になることが少しでもあれば幸いです。

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